粋を楽しむ。

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東京二八そば探訪【其の二十九】
研ぎ澄まされた感性はまだ進化中。 美と美味に魅せられるひととき。

【豊島区 巣鴨】そば切り やぶ
k.j

 4人掛けテーブル4つと2人掛けテーブルが1つ、白木と柔らかなトーンの壁に白い障子やブラインドがアクセント。無駄な飾りを除いて、シンプルな美で統一された清潔な店内を見渡し、この近くに住む旧友から「やぶさん、おいしいよ。よく行く」と聞いていたこともあり、期待が高まる「そば切り やぶ」さんです。JR「巣鴨」駅と都営三田線「西巣鴨」駅のちょうど中間くらいの位置にあり、どちらからも徒歩10分ほどです。

 メニューには、お蕎麦屋さんの定番メニューが厳選されて並んでいて、「せいろう」という表記や、意外に他ではメニューに見ることが少ない「もち天おろし」「なめこ」があるところ、「刻み海苔」「生玉子」がトッピングできるところなどに、さりげないこだわりと個性を感じます。今日は天ぷらが食べたい気分だったので、大好きな「イカ天おろし」を注文しました。

 忙しいランチタイムが落ちついた終了間近の店内には、30代くらいの女性おひとりと、60代くらいの男性がおひとり。それぞれ、ビールと蕎麦前でくつろいでおり、どちらもそろそろ〆のお蕎麦を頼もうかという様子に見えます。おひとりさまがゆっくりくつろげる、良い雰囲気です。

 「もともと、蕎麦屋になるつもりはなかったんです」と、店主の西海直克さん。ただ、飲食店をやりたいとは思っていたそうで、学校を卒業するとき、就職先として紹介されたのが、「上野 薮そば」さん。「蕎麦がすごく好きというわけでもなかったんですけどね。肉があんまり好きじゃないというのはありましたけど」と、柔和な表情で淡々と話されるのですが、そのちょっと熱量低めの感じが、むしろ逆に信頼できるというような、魅力的な方です。

 「上野 藪そば」さんで働いている間、「やめるやめないというのは何回かあったかなー」と笑いますが、結局20年以上働いて、信頼も築き、42歳で独立します。まず、大塚でお店を始めて、6年ほどして、今の場所に移転したのが2020年9月。コロナ禍の大変な時期の移転でしたが、「大塚時代からのお客さんがたくさん来てくれて、今もそうしたお客さんたちに支えられています」と、しみじみ話してくださいました。

 「イカ天おろし」が来ました。一見して、ため息が出ました。なんて美しいのでしょう。実は、厨房からイカ天が揚げられている音が聞こえてきたとき、その音だけで「これ、絶対においしい!」と確信していたのです。衣をまとったイカがたっぷりの油の中に落とされる姿が目に浮かび、聞こえてきた「揚げられている音」は、まるで水琴窟(すいきんくつ)の音色のような澄んだ美しい音でした。「天ぷらの油は、一番いいのを使っています」。なかなか「自慢」になるようなことを聞かせてくれない西海さんの口から、そんな言葉が聞かれました。最高の天ぷらです。

 そしてもちろん、蕎麦がおいしい。口に入れてすぐわかる、まろやかさ、甘やかさ、食感と香りのバランスの良さ。常に、信頼している産地の蕎麦粉を使っているとのこと。その蕎麦の打ち方、粉に水を入れ、のしていく工程について聞いてみると、「いろいろやってみて、自分のやり方があります」と、ニヤリと笑う西海さん。つまり、肝心なところは秘密? 「うん、そうですね、ふふ」。その秘密、気にはなりますが、蕎麦粉と日々向き合い、工夫を重ね、より良いお蕎麦へと仕上げられた今、目の前にあるそれを、ただただ素直に味わいたいです。

 「イカ天おろし」は、イカ天の他に、大根おろし、貝割れ菜、そして、薄く切った椎茸の甘辛く煮たものがのっているのですが、この椎茸煮の優しい甘辛味が、すごくおいしくて、実に良いアクセントになっています。

 壁に貼られた季節の「蕎麦前」に、「〆さば」「かにみそ」「まぐろ刺し」「ほや塩辛」など、お蕎麦屋さんではわりと珍しい海鮮ものが多いのは、修行時代に「藪そば」の若旦那と一緒に築地にたびたび通っていたからだそうです。

 店内には、クラシックのピアノ曲が流れ、お蕎麦屋さんぽくない選曲ですが、とても合っていました。細かなこだわりを隅々に感じましたが、「理想の店にはまだまだですね」と西海さん。いろいろな計画はあるようで、このお店に漂うしっとり落ち着いた雰囲気に沿って、静かに着実に進化していくことでしょう。

そば切り やぶ
豊島区巣鴨5-10-3 03-6903-6536
定休日・木曜日