粋を楽しむ。
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東京二八そば探訪【其の二十八】
蕎麦と天ぷらとお酒のくつろぎ時間。 大人の日常を豊かにするお店。
【武蔵野市 吉祥寺本町】吉祥寺 砂場
k.j
吉祥寺駅北口から伸びるショッピングアーケード「サンロード」に入ってすぐ左側のビルの地下。ちょっとレトロな「食堂街」の中にある「吉祥寺 砂場」さん。広すぎず狭すぎずの店内はシックな色調でまとめられていて、大人のお店という雰囲気です。ランチが終わる間近の時間、奥の席では静かにお蕎麦を食べる熟年ご夫婦。隣のテーブルは大学の先生かな? と思われる男性2人が、仕事の話をしながら「ぬる燗」を楽しんでいました。
今日は、来る前から「鴨せいろを食べる!」と思い詰めていたので、メニューを見る前に注文。それからゆっくりメニューを見ました。オーソドックスな定番メニューが書かれている他に、こだわりの使用食材や、天ぷらメニューの紹介、「武蔵野地粉うどん」の情報も書かれていて、こういう「読み応えのあるメニュー」が、ひとり客には意外に嬉しいものです。
「ざる蕎麦」と「もり蕎麦」の違いについても書かれていました。一般的に、「ざる蕎麦」は海苔がかかり、「もりそば」は海苔がかかってないものなどと言われますが、こちらのお店では、蕎麦自体を変えていると。「ざる蕎麦」は、蕎麦の実の中心だけ使った更科粉を玉子で繋いだ上品で喉越しの良いお蕎麦。「もり蕎麦」は、一番粉を二八で繋いだ香りと風味の良いお蕎麦。なるほど。天ぷらと食べるとしても、「天ざる」「天もり」が選べます。ちなみに、「天ぷら」も、好きな具材の天ぷらを単品で選ぶことができ、これすごく嬉しい。
「店名を、『蕎麦 天麩羅 吉祥寺 砂場』としているように、あれこれ手を広げず、蕎麦と天ぷらを中心にしている店です」と、店主の猪野保さん。猪野さんがかつて修行した「室町 砂場」は、「天ざる」「天もり」発祥の店と言われています。
猪野さんは、中学卒業と同時に「室町 砂場」に入り、日本橋店、赤坂店で17年間働いた後、32歳で独立。吉祥寺の今の場所とは違うところで開店しました。同じ吉祥寺で、より駅にも近いこちらに移転したのが2013年。「小さな店を探したんです」と微笑む猪野さん。女将さんと2人でも営めるくらいの広さで、駅からすぐ、ほとんど雨にも濡れず店に入れるアクセス便利なお店は、高齢になっていく常連のお客さんにも好評です。「前のお店は、階段で地下に降りるようになっていたので、ちょっと辛くなってきたよと仰るお客さんもいましたから」。猪野さんの言葉の端々から、お店を長く愛してくださる蕎麦通のお客さまへの愛情が感じられました。「蕎麦って、一番手頃に『通』になれるものだと思うんです。時間をかけていろんな店に通って、比べて、わかってくる。お金もそんなにかからず、自分の好みを探して楽しめる。粋に見えるのはそういうところじゃないでしょうか」
私の「鴨せいろ」到着。正直、代表メニューと思われる「天ざる」か「天もり」にすべきだったか、とも思いましたが、この「鴨せいろ」、食べたらすごくおいしくて、「良かった!」と思いました。弾力のある蕎麦はもちろん、鴨汁のおいしさに感動。コクと旨味が濃いのに、尖った部分がなく、最高にまろやか。しかも、最初に蕎麦をつけて食べた時も、食べ進んで少しずつ汁が薄められていく間も、最後に蕎麦湯を入れて飲む時も、全てのタイミングでおいしいのです。
私が鴨汁のおいしさをオーバーアクション気味にお伝えしても、「特別なことはしてない、忠実にやっているだけ」とおっしゃる猪野さんですが、「鰹節は最高のものを使ってますけど」と、ぽつりと。「きちんとした仕事をきちんとする。それだけです」という言葉の中に、確固たる自信を感じました。
蕎麦湯をしみじみ味わって、ほっとしながら店内を見渡すと、壁の版画に目が行きます。自然の色と光を表現するアーティスト、井堂雅夫さんの版画作品。猪野さんが少しずつ集めたものだそう。「季節に合わせて、掛け替えます。お店って、最初にしっかり形を作り上げてしまうより、季節ごとに絵を架け替えて雰囲気を変えていく方がいいと思うので」。どの絵も、お店の雰囲気にとても合っていて、静けさと確かさが共存する版画という芸術は、素材を厳選して丁寧に作られるこちらのお蕎麦と似たところがあるのかもしれない、とも感じました。