粋を楽しむ。
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東京二八そば探訪【其の二十七】
「八」好き旦那さんと優しい女将さん 真摯で明朗な蕎麦道に心動かされるお店
【葛飾区 亀有】吟八亭やざ和
k.j
「亀有駅」南口から徒歩7分ほどのところにある「吟八亭やざ和」をお訪ねしました。江戸時代からの幹線道路「水戸街道」に面するお店。その昔、千住宿から水戸へと続くこの街道で、店主、矢澤登志和さんの曽祖母が、「吟茶屋」というお茶屋を開いていたそうです。曽祖母の名前は「吟さん」。祖先の営みを継承する意味で、その名前を今も店名に入れています。
ミシュランガイド東京にも選ばれたこちらのお店は、入り口から個性的。店は2階ですが、ゆったりとした階段を上りながら見ることができるオブジェや手書き文字のひとつひとつが、お店の個性、つまり矢澤さんの個性を表現するものばかりで、店内に入る前からわくわくします。
矢澤さんは亀有生まれ亀有育ち。洋食に憧れて、都内の老舗洋食店に勤めたものの、なかなか希望する厨房での仕事に就くことができず、ここを辞め、次に老舗蕎麦店で働くことになります。ここで、現在の女将さんと出会いました。蕎麦に魅せられ、生家を改装して、蕎麦屋として独立。それが1976年。店は忙しく順調だったそうですが、そんな時に、柏の「竹やぶ」さんを訪ねて、衝撃を受けます。蕎麦の味はもちろん、働く人たちの仕事ぶりも、店の在り方も、すべてに感銘を受け、以来、月に2、3回柏に通い続けることになります。公私に渡る「竹やぶ」店主、阿部孝雄さんとの交流が、その後の矢澤さんの蕎麦道を決定づけることになりました。
店名を「吟八亭 やざ和」としたのは1999年。「八」は、矢澤さんにとって大切な数字です。とにかく、「八」が大好きだそう。矢澤さん自身が、昭和18年8月8日生まれ。8歳年下の、しっかり者で優しい女将さんも、8月生まれ。念願のハーレーダビットソンを手に入れたのは、2008年。店内に飾られた、こけし、日本酒の写真なども、それぞれ8体、8本ずつ並べるという徹底ぶりです。そしてもちろん、「二八蕎麦」が大好き。
美しい筆書のメニューは、矢澤さんの手によるもの。「せいろにする? でも、そばがきも食べてみてほしいなあ」と、明るく言われ、もちろん。どちらもいただくことにします。蕎麦は、玄蕎麦を石臼で挽いています。そして、限定20食の手挽きの「田舎せいろ」は、矢澤さんのこだわり。今回は、二八をいただきたいため「せいろ」にしましたが、「田舎せいろ」も、「やざ和」を代表する人気メニューです。
店内には、「竹やぶ」店主の阿部さんが自ら作った不思議なオブジェや、阿部さんのお人柄が伝わる書など、そのセンスが溢れ出るものがあちこちに飾ってあります。天井近くにある、阿部さんと矢澤さんの手形を並べた額と、「ようこそ」と書かれた書は特に印象的で、お店の雰囲気にとても合っていました。
お話していると、阿部さんとの楽しいエピソードが次から次へと出てきます。「カメ、要る? て聞かれたから、いいですね、甕(カメ)、ほしいです、って言ったら、この亀を持ってきた」と、壁の大きな亀を指差して。他のお客さん共々、一瞬の間のあと、大笑い。矢澤さんは、終始、こんなふうなのです。お話が軽妙で楽しく、しかもあったかい笑いに包まれます。昼下がりの日本酒をしっぽりした雰囲気で楽しんでいた男女のお客さんのテーブルでも、お酒や玉子焼きを運ぶたび、ちょこちょこと面白いことを言っては笑わせていて、それが絶妙に2人の雰囲気を邪魔しない塩梅なので、見ていて感心してしまうほどでした。
先にきたのは「そばがき」です。とろとろのミルク色の中にぽってりと横たわるそばがき。口に運ぶとその滑らかさと限りなく優しい甘みに驚きます。心安らぐ味わいとはこのこと。続けて、せいろそばも来ました。ほんのり青みを帯びた、美しいお蕎麦にうっとり。つゆをちょっぴりつけてたぐると、香り、食感、喉越しが一気に幸せを運んでくる感じ。これぞ、ザ・蕎麦。一口一口が、うれしい! とろっとろの蕎麦湯まで、時間を忘れて楽しみました。
日本酒も吟味して揃えてあり、お酒に合う定番の蕎麦屋のつまみもいろいろ。お隣のテーブルの女性は、玉子焼きを口にして、「あ~、おいしい」と、心からの声でつぶやいていました。メニューの中でお酒のつまみを「酒のつきあい」と書いているのも洒落ています。酒のつきあい、蕎麦のつきあい、そして、これまでに出会ったたくさんの人たちや、お店に訪れるさまざまなお客さんとのつきあいを大切にしてきたお店なんだと改めて思いました。今度はぜひ、お酒をゆっくり楽しみに伺いたいです。