粋を楽しむ。

新着情報

東京二八そば探訪【其の二十一】
文化が宿る街、神保町で70年。淡々と誠実に営み、愛され続ける店。

【千代田区 神田小川町】やぶ仙
k.j

 出版社や本屋さんがたくさんあって、老若男女、多くの人が行き交い、長い歴史を刻む飲食店があちこちに。暮らしと文化が融合する魅力的な街、それが神保町のイメージです。地下鉄「神保町駅」を出て、駿河台下交差点を渡って少し行った左に、今日訪ねる「やぶ仙」さんの、モダンな看板が見えます。来る途中の道路脇にあった歴史解説板によると、江戸時代このあたりは、能楽師や鷹匠が住んでいたことで、「猿楽町」「元鷹匠町」などと呼ばれていて、1693年(元禄6年)に小川町という町名になったそう。「小川町」という町名が、そんなに古くからあったことを初めて知りました。

 お店の入り口を入るとすぐ右手に二階に上がる階段があり、一階はこじんまりと細長く、いわゆるお蕎麦屋さんの造りですが、テーブルや壁がシックな色調で落ち着いた雰囲気です。天井に曲線を使ったデザインが施されていて、「天の川をイメージしている」と、教えていただきました。小さな空間にも天の川が広がる夢のある演出の内装。壁にかかった「行雲流水(こううんりゅうすい)」の書も素敵です。空を行く雲や流れる水のように自然体、という意味があります。

 メニューを見て、「茄子せいろ」と「イベリコ豚せいろ」のどっちにしようか迷いに迷い、「イベリコ豚せいろ」に決め、注文したのですが、その直後に店に入って来た女性が、着席するタイミングで迷いなく「茄子せいろ!」と注文していたので、またちょっとぐらぐらと心が揺れました。

「やぶ仙」さんがここで創業したのは、1951年(昭和26年)。現在の店主、横内光雄さんのお父さんの仙一さんが初代。店名にもお父さんの名の漢字が使われています。親戚から譲り受けたこの土地で、戦後は金物屋をやって繁盛していたそうですが、あまりうまくいかなくなったタイミングで、知り合いから「蕎麦屋はどうか」と勧められ、開店したそうです。戦後すぐにそのようにして蕎麦屋を始めた話は多く聞きます。物の無い時代に、飲食店が安定した商売で、特に蕎麦屋はすぐに始められる敷居の低さがあったのでしょう。

 息子さんの光雄さんはもともと、蕎麦屋を継ぐつもりは全くなく、大学に進学しましたが、大学卒業後、跡を継ぐことになりました。「まあ、いろいろあってねー」と、笑います。

 その後、バブル景気がやってきます。周りの多くの蕎麦屋も、庶民のファストフード的な役割から、お酒と料理を楽しむちょっとゆとりある空間へとリニューアルしていきます。銀行はいくらでもお金を貸してくれました。「やぶ仙」さんも、店内を改装し、お酒に合う料理メニューを増やし、蕎麦粉を吟味して二八蕎麦を打つようになります。「蕎麦業界全体がそんな風でしたよ」と、光雄さん。でも最初は、すっかり変わってしまった店にお客さんが来なくなり、心配したそうです。でも、「忘れもしない、昭和62年11月23日」と、日付までしっかり覚えている光雄さん。「大きな会社からの予約で、すごい売り上げに」。それが、「やぶ仙」バブル時代の始まりのファンファーレでした。

 もちろん、立地も良かった。神保町には大きな会社があり、会社の接待や宴会が連日入るようになります。「ものすごく忙しかったですねぇ」。バブルに翻弄されたお店は、その後のバブル崩壊で、泡のようになくなってしまいましたが、「やぶ仙」さんは、実直にそこをしっかり生き抜いて、今に至るわけです。

 私が注文した「イベリコ豚せいろ」がきました。せいろは二枚重ね。嬉しい。「新蕎麦ですよ」と、女将さん。さらに嬉しい。新蕎麦、甘いです。なんて優しい甘みと香りでしょう。ありがたい。汁は、辛すぎず甘すぎず、お蕎麦を入れてどんどんすすりたくなる味です。ネギのシャキシャキと、生姜の風味も効いています。イベリコ豚は、脂身がおいしくて、脂っこくない。蕎麦の風味を邪魔しません。汁を飲み干して、蕎麦湯で締めて、満足。

 「蕎麦粉は、以前は配合してあるのを買っていましたけど、ちょっと違うなあと思って、国産のいい蕎麦粉を選んで、二八でやるようになったんですけど、やっぱり味が違いますね」。好みの味ですごくおいしいと思った汁の出汁は、「甘汁は宗田節と鯖節、辛汁は本枯れ節で、それはどこも同じだと思いますけど、ただ、たっぷり、惜しげなく使っているとは思ってます」。

 コロナ禍で、宴会がほとんどゼロになった時期もあり、大変なことも多いけれど、神保町の地で70年。「うちは、お客さんに恵まれているんです。ずっと、お客さんに助けられています」と女将さん。光雄さんも、「本当にそうですね」と頷きます。ランチタイムを過ぎた午後2時過ぎにも、慣れた様子で暖簾をくぐり入ってくるお客さんが次々といらっしゃっていました。

やぶ仙
千代田区神田小川町3-6 03-3219-5467
定休日·日曜日