粋を楽しむ。
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東京二八そば探訪【其の十八】
下町の居心地良さに癒される昼下り、シャキッと辛い辛み大根蕎麦に舌鼓。
【江東区 亀戸】浅野屋
k.j
JR「亀戸駅」を出て、首都高の方向に歩いて5分ほど行った左側の路地に建つ、いかにも下町のお蕎麦屋さんという構えの「浅野屋」さん。白地に黒く大きく「そばうどん」と書かれたのれんの上に、創業当時のものと思われる年期の入った木製看板がかかっていて、さりげなく歴史を感じさせます。
店内は狭すぎず広すぎず。大きなガラスに面した左手は明るい小上がり。ランチタイムが終わろうかという時間なので、お客さんは若い男性がふたりでした。近くの工事現場で作業をしていたと思われる方達で、小上がりの席でのんびりお蕎麦を待っています。テーブル席の椅子よりも、座敷で靴を脱いで座るほうがくつろげるというとき、やっぱりあるよね、と思いながら、お蕎麦屋さんの小上がりっていいものだなと改めて思いました。
奥のテーブル席につき、壁のお品書きを見あげてすぐ、「辛み大根そば、始めました」の文字が目に飛び込んできました。迷いなくこれに決定。夏の一時期しか食べられない、ちゃんと辛い「辛み大根そば」が大好きなので、他のメニューはもう目に入りませんでした。店主の石塚昭弘さんも、「(辛み大根そばは)自分も好きだから、この時期は必ずやりますね」と嬉しい言葉。
こちらのお店は、義理のお父さんが初代。現店主の石塚さんは、その初代の娘さん(今の女将さん)と交際していたときに、結婚するにはどうしたらいいですかとたずねて、「店を継ぐこと」と言われたそうで、「で、こうなっちゃった」と笑います。いかにも「流れでこうなっちゃった」みたいに話されていましたが、あとで女将さんにお聞きすると、「でもあの人、この仕事けっこう向いてるんですよ」と。確かに、ゆったりとおおらかな表情でお客さんに接し、厨房では黙々と働く石塚さんの大きな背中を見ていると、居心地がよくて親しみやすいこのお店の雰囲気にぴったりだと思えます。
創業58年になるそうで、表にかかっていた木製看板のほか、店内には創業時の木製のお品書きも飾られています。現在のメニューは、テーブルのメニューブックのほか、賑やかに壁一杯にも貼ってあり、その数は実にたくさん。これらのメニューは、「お客さんの意見を聞いて、少しずつ増やしたらこんなになってしまって」と言うように、丼ものとのセットメニューが豊富で、お客目線でランチが楽しみになるラインナップです。「あさり丼」や「豚塩カルビ丼」なんて、なかなか他のお蕎麦屋さんではお目にかかりません。こんな魅力的な丼ものにお蕎麦もつくのだからボリューム満点です。「お客さんは、近くの会社の人や、工事の人などが多くて、やっぱり丼ものとのセットメニューが人気です」
さて、「辛み大根そば」がきました。大きめの蕎麦猪口に辛み大根たっぷり。きゅうりと青みが添えられていて、ここに薬味とつゆを注ぎ、お蕎麦をつけていただきます。なめらかな蕎麦に大根をからめて一口すすります。辛み大根の「辛味」がちょうどいい。ちゃんと辛くて、でも辛すぎず。「やっぱりそのときによって、すごく辛いのや、あまり辛くないのもあるので、ちょうど良くて良かった」。いつも同じ産地からとっているという辛味大根自体の質の良さもありましょうが、おろし方も素晴らしいのではと感じたのですが、そういうことは特に自慢しない石塚さんです。
しかし、辛味大根とお蕎麦ってなんでこんなに合うのでしょう。まったく性格の違うふたりが奏でる絶妙なデュエットのようです。そして、大根の汁を含んだつゆに、蕎麦湯を注いでいただくのも至福です。
壁にずらりと並んだお品書きの中でも、ちょっと気になっていた「豚カレーセット」について、「これって、ポークカレーということですか?」とお聞きすると、「いや、ちがいます」と。「カツカレーみたいに、豚の天ぷらをカレーにのせてあるんです」と、意外なお答え。「豚の天ぷら」だなんて。これだから、オーソドックスに見えるお蕎麦屋さんでも、メニューは熟読して解読しないと、どこに新しい発見があるかわかりません。「次に来たときは、豚カレーセットにします!」と言うと、「ぜひどうぞ」と優しく笑う石塚さん。これからお店をこうしていきたいとか、いま考えていることはありますかとお聞きすると、少し考えて、「今までどおり、地域密着型のお蕎麦屋さんでいいかなと思っています」と。ほんとうに、ずっとそういうお蕎麦屋さんでいてくださいと願わずにはいられません。