粋を楽しむ。
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「どんどん外へ出て勉強する。守るより攻めることが大事」
店主のこだわりが行き届いた空間で、雰囲気まで味わえるそば
[大森]入新井愛知家
東京都大田区大森北1-26-2 愛知家ビル 1F
営業時間11:00~14:30 17:00〜20:30
定休日:木曜日
江戸時代は海苔の産地として知られた大森。東京湾の大規模な埋め立てが行われるまでは、海水浴場としても人気だったそうです。オフィスも住宅も増え、すっかり様変わりしたこの街で、昭和初期からお店を構えてきた「入新井 愛知家」。今回は2代目の店主、社本奉彦さんにお話を伺いました。
売上の8割をしめる出前をやめて、勝負に出た
── こちらは昭和8年創業だとお伺いしましたが、そうすると創業88年になりますか?
社本氏(以下敬称略):そうですね。でも戦争の影響で途中、7~8年は開けられなかったみたいです。このへんは全部焼け野原になって何もなくなったんだそうですよ。先代が疎開した直後に爆弾が落ちたらしくて。そういう苦労話は聞きましたね。
── 焼け野原からお店を再建するのは、大変だったでしょうね。社本さんは何代目になられますか?
社本:私は2代目です。もともとは大正時代に、おじさんがここで食堂か何かをやってたんですが、それをうちの親父がこっちへ出てきて、そば屋にしたそうです。
── メニューにきしめんや味噌煮込みうどんがあるので、もしかしたらと思ったんですが「愛知家」という屋号は、もともと愛知県の出身だからですか?
社本:そうです。だから味噌煮込みの味噌は今でも自分のとこで作った八丁味噌です。
──ルーツはしっかり受け継がれてるんですね。 大森の街はすっかり様変わりしましたが、その間にお店にも変化はありましたか?
社本:僕が子どもの頃はまだこの辺りに野原がたくさんあって、2階に上ると富士山が見えてたんです。そこへ会社がどんどん増えて……銀行も7軒くらいありました。昔は「みそかそば」といってね、銀行は月末に残業するから、そばの出前を頼むんですよ。ひとつの銀行に当時は40~50人の行員がいて、その注文が一気にくるから、厨房はもう戦争状態ですよ。
──想像するだけで恐ろしいですね!
社本:工場があって宴会も多かったからね。お手伝いでとっくり1本お燗すると50銭、2本で1円もらえました。昔の人は、今じゃ考えられないくらいよく飲んだから、いいお小遣いになりましたよ(笑)。
──子どもの頃からお店をお手伝いされてたんですね。正式にお店に入られたのはいつですか?
社本:正式に継いだのは28だったかな?その前は和食とか中華とか、いろんなところで修行してました。本当は僕が継ぐ予定じゃなかったんですよ。兄弟が6人いて、兄も弟もいたし。
──どうして継がれることになられたんでしょう?
社本:親父が具合悪くなった時、みんな仕事で海外にいたんです。日本にいたのが僕だけだったんですよ。
──それはなんだか運命的ですね。
社本:28で正式に継いだとはいえ、25、6の頃から、もっといえば子どもの頃から手伝いはしてましたけどね。でも、僕が継ぐ時にはひとつ、条件があったんです。
──それは、何でしょう?
社本:出前をやめるっていうこと。
──それはかなり大きな決断ですね!なぜそれを条件に?
社本:この先、いいそば出すなら、出前じゃないなあと思って。出前だとどうしても七三とか四六になるから。やっぱりそばっていうのは生粉打ちより二八が一番食べやすい。でも二八は出前にはどうしても向かないからね。じゃあ出前をやめて、お店で食べてもらおうと。そうやって粋がってやってみたけど、まあ、ひどかったですよ。
──最初の頃はやはり大変でしたか?
社本:だって当時、昭和47年頃ですが、店の売上の8割が出前だったんだから。だから2割しかなくなっちゃったわけです。もう顔真っ青ですよ。
──それからどう立て直されたんですか?
社本:元の売上に戻すにはどうしたらいいかって、考えるでしょう?するとまず、このままの店の構えじゃだめだなと。もっと入りやすい店にしたくて、改装したんです。
──売上が下がったところで、あえて勝負に出たわけですね。すごい勇気です。
社本:当時27、8の独身だからね、彼女を連れて行くんだったらこんな店がいいなっていうのがあるわけです。それを考えてみると、うちの店は来たくないなと。それで、京都風の数寄屋造りのお店にしたんですよ。今はビルにしちゃいましたけど、当時の建物は完全に木造で、庭も今よりずっと広かったですね。
──思い切った改装ですね。
社本:今のお店も、入り口のショーケースから11歩いて、その間に何食べるか決めてもらって、座った時にすぐ「あれください」って言えるように、ストーリーで考えてるんですよ。
──すごい、計算され尽くしてますね。入り口のもみじの枝ぶりも見事で驚きました。
社本:庭木も、浅草寺を担当してる植木屋さんにおねがいしてます。もみじは秋になると真っ赤に紅葉して、本当にきれいなんですよ。
──売上回復のために、他にはどんな施策を?
社本:やっぱりメニューですね。僕は修行時代、料理屋にもいたことがあったんで、そば懐石のようなものを入れたりね。
お客さんの気を引くメニュー構成
──こちらのお店には、面白いネーミングのメニューがいろいろありますね。あいうえおにく、かきくけころも、さしすせさしみと3つありますが、これは何でしょう?
社本:松花堂弁当から考えたものでね、松花堂って肉と天ぷらと刺し身でしょ?それを3つに分解して、ゴロのいい名前をつけました。そうするとお客さんは「なんだこれ?」ってなるでしょう?だからあえてメニューには写真を載せずに、文字だけにしてるんですよ。
──なるほど、文字だけで想像させてみるんですね。
社本:ちょっとしたいたずら心というかね。こういうことを考えるには、あちこちいろんな店に行くのが大事なんです。そうするといろんなヒントが出てきますから。やっぱりね、何かしようと思ったら、外へ出なきゃだめですよ。よく「自分とこの味が一番」って言うけど。
──よくお聞きしますね。
社本:そんなのはお客さんが選ぶことだから。いろんなお店を見て、どんどん勉強することが大事ですよ。僕だっていまだに勉強です。
──守るというより、攻めるという姿勢ですね。
社本:そう、それが大事。メニューは名前のインパクトだけでなく、季節も意識してます。たとえば1月7日はそばの実にうるち米を少し足して、七草のそばがゆというのを100円で出していたり。
──それはお客さんもうれしいですね!ちなみに、愛知家さんで特に人気のメニューはどちらですか?
社本:やっぱり風神と雷神、あとは月のうさぎかな。
──それもまた、おもしろいネーミングですね、
社本:「風神」は、玉子をお月さま、いくらを太陽に、ふんわりふくらんだ揚げ餅を風神さまの袋に見立てたメニューです。「雷神」のほうは、まぐろの上にかかった山かけを雲に、小エビのかき揚げを雷神のたいこに見立てています。
──お店の造りだけでなく、メニューにも演出があるんですね。
社本:月のうさぎというのは、玉子を月に、大根のつまを雲に見立てて、その中でおもちをついているイメージで、かき揚げに豆腐をのせています。お客さんにはわざわざ言わないけど、こういうストーリーを作って自分で満足してます(笑)。
──おそばが入った玉子焼きというのも、初めて見ました。
社本:おそばと大葉と青ネギを入れてます。これは結構よく出ますね。
──こういったメニューは、代替わりされてからのものですか?
社本:このあたりのメニューはみんなそうですね。出前をやめた代わりに、こういうのを考えたんですよ。
そば粉へのあくなきこだわり
──先ほど、出前をやめて二八にされたとお聞きしましたが、季節によって割合を調整されたりしますか?
社本:以前は、新そばを外二八にすることもあったけど、今は二八って決めてますね。やっぱり香りと風味を重視するとそうなりますね。
──そば粉の産地はどちらですか?
社本:それがむずかしいんだよね(笑)。うちは3社のそば粉屋さんにお願いしてるんだけど、北海道、福島、長野かな。
──時期によって、仕入れる会社を変えているということでしょうか?
社本:そうですね、その時一番いい粉を選んでます。うちは石臼挽きしか使わないんだけど、メッシュがいくつで水分量がこれくらいで、石臼の回転数が1分間にいくつ、というところまで指定してます。
──メッシュってなんですか?
社本:そば粉をふるいにかけて落とすでしょう?その時、ふるいの目が粗いとそば粉も粗くなるから、大きさを指定するわけです。
──なるほど、網目の大きさのことですか。
社本:石臼にもいろんな石がありますからね。1社はわざわざうちのための石臼を入れてくれました。
──愛知家さん専用の石臼ですか!すごいですね。ちなみに、そばの実はどの部分を使われていますか?真ん中の部分ですか?
社本:主に真ん中の部分ですが、粗挽きのものも合わせて3種類のそば粉を、うちでブレンドしてます。時期によってその割合を変えていて、新そばの時期は真ん中の部分を多めに、水分量がなくなってくると粗挽きのものを多めに入れたりして調整してますね。
そば屋のつゆが甘くなったのはpHのせい
──メニューはかなり刷新されていますが、おつゆなども先代の時から変えられましたか?
社本:おつゆはやっぱり、その時代に合わせて変えてますね。昔はもっと辛かったでしょう?夏にクーラーのなかった時代は、お客さんがみんな汗かいてたんですよ。カンカン照りのところから店に入ってきて、店も暑いからしょっぱいものがほしくなる。だけど今は会社も店も涼しいから、そんなに塩分の多いものをほしがらない。人間のpHに合わせて、変化していったんです。
──味覚じゃなくて、環境が変わったためなんですね。
社本:それに昔は冷蔵庫がなかったから、保存という意味でも辛くしないといけない。戦前は、麺屋に生モノは必要ないって言われてたくらいです。
──なるほど、塩分で腐らないよう保つわけですね。おつゆのだしには、何を使われていますか?
社本:本節と宗田です。うちは鰹節を洗うところから、削るのも自分のとこでやってますよ。夏と冬では本節と宗田の割合も変えます。だしのコクを出すのか、香りを出すのかっていうのでね。そのバランスがうま味になるわけです。
──冬の方がコク多めですか?
社本:そうですね。日によっては、鯖節を追っかけで入れることもあります。
──日によってというのは……?
社本:なんて言えばいいかなあ。それはもう季節でもなく、その時の感覚なんですよね。
──そば粉の選び方でも、その「感覚」のお話をお聞きすることがあります。
社本:こればっかりは説明できないんですよ。粉も握ってみて「こんなもんで」っていう尺度が自分にあるんだけど、さわんなきゃわかんない。
──かえしも辛汁と甘汁で分けられていますか?
社本:それはもう、当然ちがいます。鰹節の量も割合も全然ちがうし。昔はね、かけそばよりもりそばの方が高い店のが多かったんですよ。鰹節の量がちがうから。辛汁のほうが3割くらい多くなるかな。湯煎したり寝かしたり、で時間もかかりますし。
同業者は多いほうがいい
社本:いまコロナで閉めちゃうお店も多いけど、俺が危惧してるのは、このままやめる店が増えること。だって、たとえばそば粉は農家が作って、我々が買うでしょう?でも買う側のお店が少なくなったら、農家も作らなくなる。そうすると原材料がなくなっちゃう。
──そうなっちゃいますね……。
社本:だから、そば屋がたくさんある方がいいんです。そうすれば、いろんな種類の中からそば粉を選べるし、安定して手に入れられる。その上でみんなで切磋琢磨して、欲張りすぎず、一緒にやっていくっていうのがいいと思うんです。
──ライバルが多い方が、むしろいいんですね。
社本:日本そばは独特の文化で、私たちはその歴史を受け継いで作ってるわけです。それが跡継ぎがいなかったり、コロナでやめたりしちゃうと、どんどん減って、歴史がなくなってしまいますからね。
「遊び」ができる懐石
──長くお店をやられてきてますが、もっとこういうことをやっていきたい、というのがあれば教えてください。
社本:今はこういう状況だから仕方ないけど、やりたいのは懐石かな。元々うちは懐石のお客さんが多かったしね。
──宴会だけでなく、数人のお客さんも注文できるんですか?
社本:そうです。なんで懐石やりたいかって、値段だけ決まってて、メニューは自由にできるから、その時の旬のものを出せるわけです。だから月によって全然ちがう。
──作る側としてはクリエイティビティが発揮できるところですね。
社本:そう、結構遊びができるんだよね。
──おそば屋さんって、料理で「遊びたい」というお気持ちが強いですよね。
社本:アイデアはいくらでもあるからね。どんどん出していきたいね。