粋を楽しむ。

新着情報

東京二八そば探訪【其の十四】
街に根ざした心和む雰囲気の中 爽やかな季節のかわりそばを楽しむ

【板橋区 大山】長寿庵
k.j

 東武東上線「下板橋」駅を出てすぐの谷端川(やばたがわ)緑道を歩きます。かつてここに流れていた谷端川が暗渠になり、遊歩道に生まれ変わっているのです。車に脅かされずのんびり歩ける緑道は、バラのアーチやハナミズキなど、季節の花を楽しめて素敵です。ここを7分ほど歩いたところの右側に、目指す「長寿庵」があります。
 住宅街にあって、街の人に長く愛されているお蕎麦屋さんだとわかる、落ち着いた店構え。大きな梅の木に守られるように店の脇に停まる出前用のバイクは現役らしいようす。そしてその横に並ぶピカピカに磨かれた真っ赤なかっこいいバイクは、店主の大谷さんの愛車でした。
 「バイクで新潟まで日帰りで行って来ました。山菜を採ってきたから、今日は山菜天ぷらがありますよ」と大谷さん。もちろん、それをいただきましょう。

 大谷さんは、スキーや山が好きで、お店の定休日などにはバイクであちこちツーリングに出かけるのが趣味だそう。山菜採りも長年楽しんでいて、採った山菜は天ぷらにして、季節限定、数量限定でお店のメニューにも並べます。というわけで、いつも必ずあるメニューではないので、今日はラッキーです。

 大谷さんは三代目の店主。お祖父さんが初代で、この場所で始めました。1953年(昭和28年)創業といいますから、この店舗も、ほぼ70才。少し手は入れているものの、大きな改装はしていないそうです。天井は高めで、窓が多く、要所要所に木のぬくもりがあり、客席からも見渡せる厨房はとても広い。全体的にゆとりがあって、実直でしっかりとした昭和の造り、という印象です。

 遅いお昼どきの店内は、会社員ふうの男性、杖を横に置いた近所の方らしいお客さんなどが、静かにお蕎麦をすすっています。
 女将さんの手による、壁に貼られた手書きのお品書きを、「きれいな字だなあ」と眺めていたら、私の山菜天ぷらとかわりそばがきました。山菜は、こごみ、たらのめ、こしあぶら、ぜんまい。あと、舞茸の天ぷらも付いていました。サックサクの衣と、山菜それぞれの食感を、塩をちょっとつけて味わいました。かわりそばは、更科粉の二八蕎麦。そう、これがこちらのメインです。

 江戸時代中期に生まれたという「かわりそば」は、白い更科粉の存在があってこその粋な蕎麦。玄蕎麦一俵(45キロ)から、わずか1キロしかとれないという更科粉を打つためには、湯ごねする必要があるそうです。「更科粉というのはでんぷん質なので水だとつながりにくいのです。熱湯を入れて、木鉢の側面を使ってこねる。そうすると、細くてもしっかりした食感になります」と大谷さん。確かに、白く繊細な姿ですが、見た目よりもしっかりとした食感に驚きました。
 今日は「紫蘇切り」。白さの中に紫蘇の緑がちらほらと見えるのがなんとも涼しげ。「これも難しくて、紫蘇を入れすぎると、そこから切れやすくなってしまうんです」。他に、新茶や青柚子など、そのときどきで入れるものは代わるそう。季節の香りや色をさりげなく楽しめるかわりそば、いろいろ試してみたいなと思いました。

 小学生の頃から、お店の手伝いをし、跡を継ぐことに迷いは無かったという大谷さん。「親から、跡を継ぐか? なんて確認されるようなこともなかったんですけど、なんとなく、やらなきゃいけないなという、使命感みたいなものはあったかもしれませんね」と、微笑みながら話してくれました。息子さんにも、特に何も言わなかったと言いますが、四代目の息子さんは、今一緒に厨房に立っています。
 お父さんの代には、住み込みの人も入れて、雇っている人が4、5人いたそうですが、この20年ほどは家族だけで切り盛りしています。女将さんも実家はお蕎麦屋さんだったとのことで、家族みんな、お蕎麦好き。
 帰る前に、特別に打ち場を見せていただきました。なんと、すごく広い。こんなに広々した打ち場を見たのは初めてです。「この広さなら、暮らせますね?」と冗談を言うと、「床で寝られます」と返って来て、笑ってしまいました。広いというだけでなく、整然と片付けられた道具類や、ここにあるすべてのものが醸し出す「職人の働く場」という空気感、その佇まいが素敵で、いつまでも見ていたいという気持ちでした。てかてかに光った床に窓からの光がやわらかく注いで、70年の歴史を包み込んでいるようでした。

長寿庵
板橋区大山金井町4-2 03-3956-4487
定休日・火曜日