粋を楽しむ。

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「基本はしっかり、あとは思いきり遊ぶ」
料理が好きという気持ちから生まれる、遊び心あふれる楽しいそば

[王子]無識庵 越後屋
東京都北区王子本町1-21-4
営業時間 11:30~14:30 17:00~20:30(LO)
定休日:水曜日

近代日本経済の基礎を築いたと言われる渋沢栄一が、邸を構えた王子の街。緑豊かなこの土地で110年以上お店を構えてきたという「無識庵越後屋」は、王子神社のほど近くにあります。そば通の間でも有名で、遠くから車で通うお客さんも多いという名店。今回は4代目の店主、坂場正康さんにお話をお伺いしました。

・通り沿いにあるお店は、そばを打つところが外から見えるつくり。

 

料理の原点は、弟たちに作ったごはん

・創業は明治41年。この街は王子製紙創業の地でもあり、にぎわっていたそうです。

── こちらはかなり歴史あるお店だと伺いました。

坂場氏(以下敬称略):そうですね、もう110年以上になります。

── 坂場さんはいま4代目だそうですが、子どもの頃から、将来お店を継ごうと考えていましたか?

坂場:全然なかったですね。いやではなかったですけど。僕が子どもの頃はバブルだったので、お店がいそがしすぎて、ごはんも作ってもらえないことが多かったんです。近くのお弁当屋さんに買いに行ったりしてて。

── 繁盛しすぎというのも大変ですね……。

坂場:僕は男三兄弟だったんで、中学生になると、弟たちにごはん作ったりするようになったんですよ。チャーハンとか、冷蔵庫にあるものでね。それが楽しくて、料理の世界に入ったんです。勉強嫌いなのもあったんですけど(笑)。

── 弟さんたちへの手料理が、原点なんですね。

坂場:そう、もう「料理するのが好き、楽しい!」と思って。それで高校3年の時に親父が「どうする?」って言うから「料理したい」って言ったんです。卒業と同時に割烹料理屋さんに入って、4年修行させてもらいました。予定は3年だったんですけど、面白くなっちゃって、頼んで1年伸ばしてもらって。本当はさらに続けたかったんですけど、こっちのお店の人手がなくて戻ってくることになりました。それがなければたぶん、そば屋やってないですね。そのまま料理屋さんをやってたと思います。

── 割烹はどのへんが面白かったんでしょうか?

坂場:いろんな食材がさわれるところですね。魚であり、肉であり、それぞれ季節ごとでもちがうし、そのへんがすごく面白くて。

── そうすると、おそばに興味を持たれたのはお店に入られてからですか?

坂場:この店に入ってもしばらく興味なかったですね。いや、それこそ親父が死んでから、ここ10年くらいですよ。いろんな人からいろんなこと教わって、こういうこともできる、あれもできるって考えはじめたら面白くなりましたね。

──おそばは、先代から教わったんですか?

坂場:一緒に店やってたっていっても、親父と会うのは朝だけで、会話も全然ないですからね。でもそば打ちは、いちばん最初は絶対親父に教わるって決めてたんです。従業員から教わることもできたんですけど、それだけは親父から教えてもらいました。後は一切教えてもくれなかったんで、それこそ背中を見て育つじゃないですけど、朝、だしをとりながら親父が打ってるのを見て、自己流で覚えました。

 

毎日同じそばは絶対できない。だから手打ちは面白くてやめられない。

・一番人気「王子のきつね」。この具のバランスが絶妙で、毎日食べても飽きなさそう。

──こちらのおそばは、お店の石臼で挽いているとお聞きしました。

坂場:そうですね、毎日その日の分を石臼で挽いてたんですけど、いまはそば粉屋さんに挽いてもらったものと混ぜて使ってます。

──石臼で挽く時、そばの実は殻ごとですか?

坂場:いえ、殻を剥いたものですね。青いものです。

──そば粉を石臼で挽いてるお店はもう少なくなってきてると思いますが、こだわる理由はなんでしょう?

坂場:やっぱり挽いてすぐっていうのは香りが強いんですよね。

──そば粉の産地はどちらですか?

坂場:栃木の真岡のそば農家さんと直接契約して、そこから買ってます。

──問屋さんじゃないんですか。めずらしいですね。

坂場:親父が見つけてきたんですけどね、そこのそばはね、一年中青いんですよ。

──新そばだけじゃなく?

坂場:そう。去年の新そばの時に、そば粉やさんから来た新そばより、その農家さんのひねの方が青かったんです。それぞれ打って並べてみても、やっぱりひねの方が青いんですよね。

──すみません、「ひね」ってなんですか?

坂場:一年たったそば粉です。お米でいうと古米ですね。うちのそばは、ほとんどこの農家さんのそばで、たまに足りない時は茨城とか北海道の、その時いいものを使っています。

──そばの割合は二八とのことですが、季節によって変えたりされてますか?

坂場:うちは一年中ずっと二八ですね。ほかのそば屋さんは変えてるんですか?知らなかったです。

──そばは毎日手打ちされてますか?

坂場:そうですね。うどんも手打ちです。機械はさわったことないんで、逆にわからないんですよ。それに手打ちやりはじめると、やめられないんですよね。今日うまくできたとか、ちょっと失敗したとか、毎日同じそばは絶対できないんで、それが面白いんです。あと手打ちの方が空気が細かく入るからいいって言う人もいますね。

──そういう違いがあるんですね!

坂場:うちは、ゆで時間も20〜30秒で、入れたらすぐ、です。1分だとゆですぎ。機械だと湿度とか計算して設定しなきゃいけないし、ゆで時間も変わるそうなんでね。手打ちだとその日によってこんな感じかな、と感覚で作れます。だから一回手打ちやると、クセになるんですよ。

一度、息子の高校の調理実習で「そば打ちやりませんか?」ってやったんですけど、それも楽しかったですねえ。地元の人たちをお店に集めてやったこともありました。

──そうやってそば打ちを体験できるのは、すごくいいですね。ちなみにつゆの方は、何種類か分けて使われてますか?

坂場:うちは辛汁と甘汁で2種類ですね。辛汁のだしは本鰹だけ、甘汁は本鰹と宗太鰹とサバ節と3つを混ぜてます。

──サバを入れるとうま味が出るんですか?

坂場:うま味というか独特のくさ味がいいらしいですね。でもいずれはね、両方とも本節一本だけでいきたいなと思ってるんですけどね。最近は遊んでみて、ちょっとサバ増やしたりして、常連さんに「どう?」って聞くと「別に変わんないよ」って言われちゃったりね(笑)。

──日々、ちょっとしたチャレンジを加えてらっしゃる?

坂場:そう、ちょっとこれ変えようかなあとか、いきなり変えてもなあとか、お客さんの様子を見ながら。

──かえしは辛汁と甘汁で別々ですか?

坂場:そうですね。辛汁はお醤油、砂糖、みりんです。砂糖は中ザラ、いわゆるざらめで、みりんはそのまま飲めるような、いいものを使ってますね。親父の時よりも砂糖を減らして、みりんを増やしたんです。みりんの甘みの方がちょっとさっぱりするので。

甘汁の方もお醤油、砂糖、みりんと使ってるものは同じだけど、種類がちがうんですよね。醤油もちがうし、砂糖も上白糖だったり。

──お父さまが亡くなられてから、変えてる部分は多いですか?

坂場:多いですね。たとえば辛汁のかえしに使う砂糖も、いちど三温糖に変えてみて、また戻したり、日々いろいろ試行錯誤してます。あとはメニューもそうですね。

 

もぐらに子猫に星の王子さま?遊び心たっぷりのメニュー

・オクラ、とろろ、めかぶがのった星の王子さま。夏でもつるんと食べられる人気メニューだそう。

──とってもバラエティ豊かなメニューで、ユニークな名前のそばも多いですね。

坂場:親父が面白くしたかったらしくて。たとえばうちは、ふつうのたぬき、きつねはないんですよ。「王子のたぬき」「王子のきつね」というのがあって、たぬきは揚げ玉の代わりにこんにゃくとごぼうの甘辛煮を、きつねの方は油揚げの代わりに生湯葉がのってます。油揚げかと思ったら湯葉だった、きつねに化かされちゃった、ということでね。

──へえ、遊び心がありますね!

坂場:「王子のきつね」は男女問わず人気があって、うちで一番多く出るメニューですね。

──この「星の王子さま」は、もしかしてオクラが星型だからですか?お皿まで星型ですね。

坂場:そうですね。これもよく出ます。やっぱり夏は多いですね。

──「王子のもぐら」というのは?

坂場:辛味大根のおろしそばです。ちょうど南北線が開通したときに、地下鉄だし、大根も地下で育つし、地下つながりで「もぐら」になったんです。

──なるほど!面白いですね。

坂場:このへんは親父が考えたものでした。僕がマネしたら変な感じになっちゃったんですよ(笑)。

──「王子の子猫」ですか?かわいいですね!

坂場:これは越前おろしそばを真似したんです。本当は鰹節かけるんですけど、うちの場合は「糸がき」っていうまぐろ節を散らして、おろしにつま、かいわれ大根と大根尽くしでやってます。夏場は味をつけた2番だしをゼリー状にして、ぷるぷる感を足したりします。

──聞いてるだけでおもしろそうな味ですね!ところで、最近は「そばがき」を出すところも少なくなりましたが、こちらは焼き、揚げ、と揃えられてますね。そばがきの「しるこ」というのは、初めて見ました。

・季節限定、桜そばしるこ。焼きでもしるこでも、そばがきのなめらかさに驚きます。

坂場:これはいわゆるおしるこの、おもちのかわりにそばがきが入ってるものです。今は春の限定で桜あんに桜の塩漬けをちょっとのせて出してます。あんまり若い人は食べないですけどね。

──私はすごく食べたいです(笑)。季節ごとの変わりそばも出されてるとか。

坂場:そうですね、いまは桜切りですが、そろそろ茶そばにしようかなと思ってます。変わりそばは桜、茶そば、ゆず、芥子、えび、夏場はしそやレモンですかね。

──芥子ってどんなのですか?

坂場:あんパンの上についてる、ちっちゃな粒ですよ。あれをちょっと炒って香りを出して。本当は変わりそばは細くしろって言うんですけど、芥子は粒なんでそばが切れやすくて、ちょっと太めにしてます。でも芥子はおいしいですよ。

──メニューがたくさんで、おいしそうで、これはお客さん悩んじゃいますね。

坂場:「王子のきつね」と「星の王子さま」が人気ですけど、これにあれのっけてよ、とかそういう要望もありますしね。

──そういうのもアリなんですか?

坂場:もう全然アリです。あの「牛すじ煮込み豆腐うどんセット」というメニューも、お客さんが「この牛すじ煮込みにうどん入れて」って言ってきたところから生まれたんですよ。

──かなり柔軟に対応されてますね(笑)。

坂場:僕はお客さんとからむの好きなんですよ。夜になるとほとんどホール(笑)。しゃべってばかりいて怒られたりしてね。でも話してるとアイデアもいろいろわいてくるんです。

──新しいメニューは、そういうお客さんとの会話の中から生まれるんですか。

坂場:そうですね。お客さんの反応を見つつ、何を食べたいか、いま何がほしいかってね。喜んでもらえる顔が一番いいんですよね。だから進んでレジの前に行っちゃいます。ありがとう、おいしかったよって言われるともう、本当にうれしくて。だからお客さんの近くで、顔が見えるようにやりたいなって思ってます。

・牛すじ煮込み豆腐。ぐつぐつと沸き立った鍋から食べるのがたまらない。

──そば前も充実されてますね。

坂場:そうですね。定番のものに加えて、季節ごとのおつまみも出してます。お酒は、日本酒もそば焼酎も出ますけど、そばハイボールが人気ですね。

──そばハイボールってどんなお酒ですか?

坂場:そば焼酎をウイスキーの樽で仕込んだものです。だから香りはほとんどウイスキーなんです。

──すごく華やかで甘い香りがしますね。はじめて見ました。

・見た目にはわかりにくいけど、驚くほど香り高い「そばハイボール」。

 

そばというジャンルの枠を超えていきたい

・居心地のいい店内には、王子神社のお神輿も飾られています。

──毎日とても楽しんでらっしゃる印象ですが、これからさらに、やっていきたいことはありますか?

坂場:あります。ちょっとふざけてるんですけど、そばを洋食風にできないかと思って。レモン切をパスタのアルデンテ風にさっとゆでて、その上に生ハム乗っけて、塩とオリーブオイルかけて作ってみたんですけど。

──冷製パスタみたいですね。おいしそう!

坂場:そういうふざけたメニュー出していきたいなと。そばを炒めてみるとかね。その場の思いつきでアンチョビや、にんにくも入れて。

──なるほど、ジャンルの壁もどんどん超えていこうと。

坂場:いまお店の改装を考えていますが、どぜう屋で修行中の息子が、お店を改装するならカウンターを作って、つまみをもっと出したいって言うんですよね。まだ相談中ですけど。だからね、そば屋の枠を超えていきたいと。そばはそばでこだわりながら「基本はしっかり、あとは遊ぶ」でやっていきたいですね。

・食べた人が喜んでくれるのがうれしい、と料理を心から楽しまれている坂場さん。

── 本当にお料理がお好きなんですね。

坂場:やっぱり人に食べてもらって「おいしいね」って言われたらうれしくてね。それがたまらないですね。