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東京二八そば探訪【其の八】
住む街にひとつはあって欲しい 懐かしさと親しみやすさに包まれる店

[上野]そば処 いち川
K.J

 JR御徒町駅から徒歩10分と聞いて歩き出したけれど、そんなにかからなかった印象。首都高高架下の昭和通り沿い。車の喧噪を背に引き戸を開けると、ああ懐かしい、と胸がじんわり。子どもの頃、お客さんが来た日や日曜のお昼によく出前をとっていた近所のお蕎麦屋さんと同じにおいがします。席につくと、ぱっと出てくるのはコップに入った冷水。お茶が出てくるお蕎麦屋さんが多い昨今、これも懐かしい気持ちになりました。

 メニューはたくさんあって、しかも魅力的な「ふつうのお蕎麦屋さん感」に満ちあふれていて、選ぶのに迷います。読みやすい字でずらりと書かれています。子どもの頃よく食べていた「あんかけそば」「玉子とじそば」に強く心ひかれつつ、「おかめそば」を選択。

 「おかめそば」とは。江戸時代に考案された「種もの」(かけそばに具がのったもの)のひとつで、具で「おかめ」の顔を描いたのが名の由来と言われていますが、顔がそうとわかるほど「おかめ」になっているおかめそばを食べたことはないです。こちらの店主、市川公康さんも、「うん、顔にはしていないですねぇ」と笑っていました。そもそも「おかめそば」を出しているお蕎麦屋さんは少なくなったように思います。かまぼこ、椎茸、伊達巻、お麩、ネギ、ワカメ。具はいたってシンプル。その良さ。かまぼこの食感は、お蕎麦との相性抜群だなと改めて思ったり。汁がしみしみになったお麩を口に入れたときの「じゅわっ」。この幸福は「口福」と書きたい。

 「いち川」の創業は1976年(昭和51年)。市川さんのお父さんが、杉並区で開店しました。1996年に、縁あって現在の場所へお引っ越し。現店主の公康さんはそのとき大学生。アメリカンフットボールに打ち込み、高校、大学、社会人と続けたスポーツマンです。でも、いずれお蕎麦屋さんになるということはずっと頭にあったといいます。「小学生のときから土日は店を手伝っていましたから。いやでいやで、逃げ回っていたこともあったけど、店を継がないといけないということはわかってました。(蕎麦屋が)体に植え込まれているというんでしょうか」。アメフトを続けるため入った社会人チームは外食産業の会社で、昼間はその会社が経営する店で働いていて、「どんどんくる注文をどの順番でこなせばいいかとか、接客なども、そのときに身につけたことが今役立っていると思います」。その後、結婚し、和食店でも働き、いずれ継ぐ自分の店で生かせるように、本格的な和食を勉強していた2011年に、お父さんが病に倒れ、予定より早く店を継ぐことになりました。

 たくさんあってどれも懐かしいこちらのメニュー。うどんもきしめんもあるし、見ているだけですごく楽しいのですが、お父さんの代からほとんど変えていないことがこだわりでもあります。「長く通ってくださるお客さんが多く、杉並の店のときからのお客さんがここまで来てくれてもいるので変えられませんよね。味も、舌がおぼえているから変わりません」。ただお蕎麦は、以前は七三で打っていたのを二八にしています。「七三は食感が少しつるっとしたかんじ。でもやはり、二八のほうが香りがいいです」

 中休みがないので、午後2時を過ぎても、お客さんがやって来ます。ランチタイムは近くの会社の人たちが多かったのが、時間を過ぎると、中高年の男性おひとりさまが目立ちます。座る前から注文が決まっているようす。お店にすっかり馴染んで、くつろいでいることがわかり、でもあまり長居はしない。食べたらさっと帰る。これぞ、ザ、お蕎麦屋さん!というかんじです。

 店内には、「もらったら飾らないと悪い気がして」と、お客さんが描いた絵や、タレントさんの色紙、テレビ取材時のスチール写真などが、たくさん壁に貼られています。なんともごちゃごちゃ。でもこれがなぜか落ちつく。

 お父さんが亡くなってから、お母さんとふたりでお店を切り盛りしています。「(親子だから)そりゃ、やりづらいこともあります。でもしょうがない。たくさんお客さんが来てくれてありがたいし、蕎麦屋をやってきて良かったと思っています」と言う市川さんの笑顔は、とても優しく、心が温かくなりました。

※今も大切にしている、お父さんの時代のメニュー。

そば処 いち川
台東区上野6-7-19 03-5688-3651
11:00~22:00
定休日・第1・3土曜日