粋を楽しむ。

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東京二八そば探訪【其の五】
気取らず食べる江戸庶民の味、 変わらない心意気の下町蕎麦。

[両国]江戸そば 寿々喜屋
K.June

 浴衣を着て自転車に乗ったお相撲さんが、にっこり笑いながら、ちりりんと横を通り過ぎていきました。なんとなく「福」を得た気分。ここは両国。お相撲さんの街でもあります。両国国技館から徒歩15分、江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎の作品と生涯を紹介する「すみだ北斎美術館」から徒歩10分ほどの場所にある「江戸そば 寿々喜屋」は、下町散歩の腹ごしらえにも最適のお店です。

 お店に入ると、お相撲さんの色紙があちこち飾られているのが目に入りましたが、それよりもまず目を引いたのは、入口の上に掲げられたお品書き。店名入りの立派な木枠に、木札に書かれたメニューをはめこんだ昔ながらの立派なものです。「申し訳ありません。価格変更あり」の注意書きに微笑んでしまいましたが、つまり、これはかなり古いものそのままというわけです。粋で味のある文字。「昔は、こういうのを書く職人さんがいたんですよ。価格が変わるときには木札を書き直しに来ていたことを覚えています。もうみんないなくなってしまいましたけどね」と、店主の鈴木隆司さん。「穴子スカイツリー天丼」などの新しいメニューは、鈴木さんが文字を書き、絵も描いたとのこと。「字は(職人さんのを)真似して書いたけど、うまくないから。恥ずかしいな」と言いますが、すごく素敵だと思いました。

 寿々喜屋は、鈴木さんのお父さんが、実弟、義弟と3人で戦後すぐ新潟から上京し、本所で始めた店が最初です。その後それぞれに独立。お父さんは、本所の店に来てくれていたお客さんも多く住むこちらに店を構えました。周囲にはメリヤス工場がたくさんあったと言います。

 息子の鈴木さんは、もともと蕎麦屋を継ぐ気はあまりなく、武道の道を極めるためインドの山奥や中国で暮らしたという異色の経歴の持ち主です。二十代後半で日本に帰ってきた後、いろいろな仕事をしながら、家業の蕎麦屋も手伝い、最終的にお店を継ぐことになりました。

 今は、女将さんとふたりでお昼だけ、ゆったりと営業していますが、従業員が5、6人いて、夜遅くまで忙しく営業していた頃の、下町らしい面白いお話もたくさん聞かさせていただきました。「近くにおでん屋台が出ると、うちでお酒飲んでるお客さんが、おでんが食べたいって言うんで、買ってきたり」。自由ですね。「夜遅く仕事が終わって、近くにチャルメラの屋台が出ると、従業員みんなでうちの丼を持ってって、そこにラーメン入れてもらって、店で食べたり」。楽しそう。お店の人も町の人も含めて、町全体が和気あいあいと気の置けない暮らしをしていた雰囲気が伝わりました。

 こちらの人気メニューは、「つまみ揚げ」。二八蕎麦とのセットや丼ものもあり、人気です。「つまみ揚げ」は、海老の天ぷらのこと。揚げるときに海老を指でつまむ仕草からついた呼び名で、江戸時代からの伝統的な天ぷらとしてあえてこの呼称を使い、継承しているとのこと。基本的に6本、きっちりくっついた海老が並びます。

 「今は、すごく大きい海老天を1本出すところもあるけど、戦前に江戸前であがった海老というのは、小さかったはずなんです。江戸っ子は、そういう小ぶりの海老を食べていた。小さいから、何本か筏状(いかだじょう)にして。それを継承しています」

 と言いつつ、今回いただいたのは「穴子天せいろ」です。穴子も江戸前と言われる食材。季節を少しはずしているので「今日は少し小さいかな」と鈴木さん。いやいや十分です。

 さっくり軽い衣に包まれ、ふわっと上品な穴子天。つまみ揚げも同じですが、米油とごま油をブレンドした油で揚げていて、おなかに重くない。「もたれるような油は使いたくない」と鈴木さん。そこもこだわりです。たっぷりと海苔をのせたざるそばは、冷水でしめてあっても冷たすぎないのが気に入りました。甘やかな二八の味わいを感じます。甘みとこくのあるつゆは、ちょこっとつけると、蕎麦にも穴子天にも合っていて、満たされました。

 「(葛飾)北斎さんも、店屋物ばかり食べていたと言われていますよね。蕎麦が好きで。たまにお金にゆとりがあれば、贅沢して天ぷらも食べたりしていたんじゃないかな。そういうの、今も同じでしょう。蕎麦は、普通の人たちがそんなにお金かけずに食べるもの。えらそうなこと言わなくてもね。うちはそういう店ですね」

寿々喜屋 
墨田区石原2-15-1 03-3622-0213
11時~15時(L.O.  14時半まで)
定休日・日曜祝日