粋を楽しむ。
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東京二八そば探訪【其の四】
半世紀を超えて歩み続ける蕎麦の道。ご近所さんの笑顔が集まる店。
[荒川]瀧乃家
K.June
街の中をのんびり走る都電荒川線に乗って、荒川区役所前で降りてから徒歩1分。2本の道にはさまれた細長い立地で、どちらの道からも入れるよう入口がふたつある、瀧乃家。写真の区役所側がメインの入口らしいですが、反対側の入口もちゃんとのれんがかかっています。
お昼を過ぎた少し落ち着いた時間帯でしたが、近所の方らしいお客さんが、途切れることなくやって来ます。斜め前の席に座った常連らしい恰幅のいい男性は、瓶ビール1本と天丼セット。それをちらっと見て、天ぷらの海老がおいしそうだなあと思いながらメニューを開くと、ずらり並んだ豊富なメニューにわくわく。蕎麦だけでなく、うどん、そうめん、きしめん、セットもの、丼ものも種類いろいろ。これだけあれば、来たら必ず食べたいものが見つかるはずで、地元で愛されるお店だなという印象です。二八蕎麦は、「もり」「ざる」「天せいろ」とのことなので、「天せいろ」を注文しました。
福井県出身の初代が創業した「瀧乃家」の本店は、荒川区東尾久。やはり福井県出身で、中学校を卒業して上京し、その瀧乃家本店に修行に入ったのが、こちらの店主、安岡辰男さんです。本店で12年働き、27才で独立して板橋に店を構えて8年、現在の場所に移転したのが1987年(昭和62年)。53年間、着実に歩み続けてきたのは蕎麦の道です。
厨房に近い壁に、そっと架かる色褪せた写真が目に留まりました。「昭和47年、荒川区東尾久にて」とあります。本店修業時代の20才の安岡さんが、自転車に乗って出前に行くところを撮った貴重な写真です。丼を並べた角盆はずっしりと右肩に積み上げられていて、全部で7段、いえ8段? 丼ばかりだから相当な重さのはずです。これでどうやって自転車をこぐの? おろすときはどうするの? なんでバランスをとっていられるの? 驚きをいちいち口にする私の隣で、にこにこ笑って写真を見る安岡さん。「(丼の高さは微妙に違うので)ガタガタしないように、丼の下に割り箸をかませているんですよ」。小さな工夫に感心。写真の安岡さんは、歯を食いしばっているような表情に見えます。体力と技術の要る大変な仕事、その根底に灯る充実感と誇り、若さと情熱、時代の空気、多くを感じとれる写真です。
この写真からもわかるように、蕎麦屋さんの昭和は、出前の時代でもありました。安岡さんが独立して始めた板橋の店では、出前は売り上げの6~7割を占めていたそうです。現在の店でも、ご近所の方達のために出前は受けますが、その割合は1割ほどになっているとのこと。
天せいろがきました。天ぷらは、大きな海老2本、ナス、カボチャ、ピーマン。せいろは2枚重ね。二八蕎麦はなめらかで、ほんのり甘くて味わい深い。甘すぎず辛すぎずのつゆは、蕎麦にも天ぷらにも合っています。「二八はやっぱり香りがいいですね。ただちょっと伸びやすいから、冷たい蕎麦がおすすめです」と安岡さん。だから、ざる、もり、天せいろでだけ二八蕎麦を出しています。
コップや箸袋に、瀧乃家の「蕎麦の花」の紋、せいろや蕎麦湯入れには、安岡家の家紋の「橘(たちばな)」が入っているのも、さりげなく伝統を感じます。
定休日は週に一日。あとは、お盆とお正月の三日間を休むだけ。決して多くないお休みに、同業の仲間とゴルフや旅行に行くのが楽しみだと言います。「蕎麦屋をやってきて良かったですよ。お客さんに来てもらえることが嬉しい」。フロアでは女将さんが笑顔でお客さんと話し、厨房では、息子さんが黙々と働いている姿も見えました。これから先の蕎麦の道も誠実に続いていくのだなと感じます。
蕎麦湯でお腹を温めて、もうおなかいっぱいだけれど、またメニューを見てしまいます。「たぬき丼」というのが気になります。「揚げ玉を玉子でとじて丼にしています。まかない飯から生まれたメニューですけど、けっこう人気がありますよ」。それ、絶対おいしい。お蕎麦屋さんは、お蕎麦屋さんならではのシンプルな材料でおいしいものを作ってしまうから好き。今度はぜひこれを食べに来ます。